喜ばれる働きをコツコツと
いつも、ありがとうございます。日々清掃業務、現場最先端てこパカです‼
先日、母とのLINEメッセージのやり取りで、亡き祖父(母にとっては父ですね)の喜ばれた話を聞きました。
祖父は、思春期から第2次世界大戦の終戦まで台湾にて暮らしていました。兄弟が多く、所謂、口減らしですね。台湾で日本人が経営していた呉服店へ丁稚奉公に行かされたと聞いています。
呉服店といえば、岸田首相の曾祖父、祖父らご親族は台湾や満州で呉服店を構えておられたそうですね。祖父が働いていた店の名前は知りませんが、どこかでご縁あったかも、と思いました( ´艸`)
祖父は台湾の現地で招集され戦争に参戦。
壮絶な日々だった事を、後に多くの有志の皆さんと「大東亜戦争を顧みて」という本を自主出版で書いています。
そんな祖父は、私にとっては、ユーモアあふれるプロレス好き、相撲好きの力自慢の頼もしいおじいちゃんでした。
呉服の仕事を辞めた後は、測量の仕事や、父(祖父からは子ですね)と家業に従事、なおかつ、とにかく器用で、田畑仕事、墓石作り、地蔵堂製作など、幅広く働いてた人でした。
また、地域の方とはゲートボールを楽しむ、いつもにこやかな人柄でした。
そして思いつくと、やってみる派、周りに多少反対されようと自由な発想で活動する人でした。
欲無しの器用貧乏なタイプでもありました。
中でも、一番印象深いのは、10代後半親元を離れて暮らし、色々と失敗ばかりの私に、励ましの手紙を送り続けてくれた祖父の温かさです。
手紙に書かれていて特に心に残っているのは、
「働く時は、人のために動く事で喜ばれるもんや、はたにおるもんをらくにしてあげよう、その気持ちを大事にしながらやるこっちゃ。」
(働くとは、人の幸せを願い動くと喜ばれてこそ良い働きと言える、側に居る人を楽にしてあげよう、その気持ちを持ち続けて動く事)
え~、そんなん大変やん、と20歳ころの私は思っていましたが、今も、本当に人から人へのご縁繋がりに感謝し、心から心への働きで喜ばれますようにと、ただただコツコツぴかぴかの毎日です。
祖父の喜ばれた話のもう一つが、お寺の本堂の壁画の復元です。
地元のお寺のご住職が実家の法事の際に来られた時、
「本当に有難かったです。目の覚めるような美しい仕上がりでした。毎日拝ませて頂いてますよ。」
とおっしゃっていただきました。
有志の方と何日もかけて、コツコツと描いてたそうです。
母は、何度も訪れているので、「いつもお父ちゃんが居るみたい、」と言っていました。
また、曾祖父の代までは大工でしたので、そのお寺の改築に携わっており、天井の格子は曾祖父が手作りしています。
母からすれば、お参りに行く度に、上からおじいちゃんが見下ろすかのように守ってくれて、目の前はお父さんが、よぉ来たなぁ~、て言ってる感じになるようです。
どんな働きも、お相手の喜ばれる様子が見えますと、身軽に喜んで進められます。
家事も清掃の仕事も子育ても、関わる一つ一つ、誰かの嬉しい、楽しい、幸せ繋がりになっている❣❣
昨日も今日も、そして明日も、朗らか咲顔で溢れる事、間違いなしです。
最後まで有難う、で溢れている生き方だった祖父、今も微笑んでいるかのように感じます。
今日はこちらにお立ち寄り頂き、どうもありがとうございました。
佳き一日になりますように!
てこパカ
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